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ゆいことば

茨城の片隅で大学生をしている、アクティブでちょろい根暗の文章置き場です。

ことばあつめ 未分類

「こんなひどいことをしたのは、誰⁉︎」

「誰よ、こんなことしたのは、誰なのよ!」

昼下がりの教室の空気を切り裂くような声が上がった。

小学校4年生のときのことだった。

私たちは給食を食べ終え、掃除を済まし、短い昼休みを過ごして教室に戻ってきたところだった。教壇の上で叫んだのは担任教師だった。何事かと緊張が走った。

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そのクラスには、知的障がいのある女の子がいた。

特別学級と私たちのクラスとを行き来していたその子は、いつも自分用の時間割を黒板の隅に書いてもらっていた。

それがいつの間にか、間違ったものに書き換えられていた、と担任は言うのだ。

女の子は朝と異なる時間割を見て、軽くパニックを起こしていた。

「こんなひどいことをしたのは、誰⁉︎

担任は私たちを疑ってかかった。クラスが凍りついたような雰囲気だった。

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私はこのとき初めて、人から疑われる不快感を知った。

私は悪くない。何もやってない。そう言い出すこともできずに、私は抗議の視線を送ることしかできなかった。

そして、1つのありふれた可能性に気づいていながら、言及することができなかった。

私がやった、言い逃れをしている、と、さらに疑われるようなことをしたくなかったから。

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結局その場で「犯人」は見つからなかったが、後日、私が思い至った通りの展開になった。

1人のクラスメイトが担任のもとに謝りにきたそうなのだ。

「黒板の掃除で誤って消してしまい、記憶を頼りに書き直した時間割が間違っていました」と。

やっぱりな、と思ったのは、私だけではないだろう。ことが起きたのは掃除の時間の少し後だったのだから。

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なぜ、担任教師は最初から「ひどいこと」だと決めつけ、私たちに疑いをかけたのだろう。

それは「知的障がいのある児童がひどいことをされているに違いない」という先入観があったから、と今なら思える。

正義感による先入観と過保護。それは行き過ぎると偏見をもたらすんじゃないか。

その正義感が本心からのものであればあるほど、自分の偏った考え方には気づきにくい。

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必要な場面で配慮して、必要なときに手伝うことは大切。理不尽な対応をされたときに一緒になって抗議したり、周りに協力を呼びかけたりすることも。

でもそれは、なにも障がいというマイノリティ要素を持っている人にだけじゃなくて、すべての友人に対してするべきささいな努力の1つだ。

特別なことじゃない。

ハンディキャップがあることを理由に、「弱いから守ってあげなきゃいけない特別な存在」にしてはいけないと思う。

その人の周りに防壁をつくると、普通の接し方ができなくなってしまう。「弱い人」を傷つけないように気をつけるあまり、本気の喧嘩もきっとできなくなってしまう。

たとえ傷つくことがなくったって、本心が見えない関係しか築けないのは、寂しいことだと思うから。

難しいことかもしれないけど、なるべく誰とでもフラットに、気負わずに関われるようになりたい。

当時はそこまで考えられなかったけれど、いま思い返すと、改めてそう思えるできごと。

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