「私は織物みたいな人間なんです」
2016/10/22
これは、私が通っている大学の教授からいただいた一言です。
大学で学生広報誌を制作しているときのこと。
文系科目の必要性を考えるページがあり、文学を研究されている教授にお話を伺いに行ったことがありました。
「文学は、社会で役に立たないと言われることもありますが。教授はその意見に対してどう思われますか」
かなりぶしつけな質問に、返ってきたお答えが冒頭の言葉です。
「私は織物みたいな人間なんです。
今まで読んだ文章、聞いた文言、発したメッセージ、それらは無意識のうちに心に織り込まれていって、いつか自分の思考や言葉を組み立てる素地になっている。
だから、文学は決して無意味ではない。私はそう思っています。私はいままで触れてきた言葉の寄せ集めなんですよ。たぶん、みなさんもそうだと思うんです』
ということをおっしゃっていて。素敵な考えだなあと感じました。
幼い頃から私は、スポーツや、ダンスや、合唱なんかよりも断然、文を読む・書くということが好きでした。
しかし同時に、スポーツや、ダンスや、合唱をしている人たちに、どこか「敵わないなあ」とも思っていました。
目の前でパフォーマンスができない分、「人に影響を与える」という点において、どうしても文章は弱いような気がしていたのです。
私自身は、好きな言葉や小説に何度も癒され、助けられたことがあります。
けれど、文を読むことが好きじゃない人たちにとっては、そんなに影響はないのじゃないかな、と思っていました。
ですが、教授の言葉で思い直すことができました。
スポーツやダンスや合唱は、どちらかというと即効性のある分野です。
文学は、言葉は、すぐにわかりやすい影響を与えることは少ないかもしれないけれど、心の中にじわじわと浸透していく。
一度受け取っただけでは意味がわからなかった言葉も、年月を重ねる中で理解できるようになることもある。
その上、自分や誰かとコミュニケーションを取って生活している限り、言葉に触れることが好きでもそうでなくても、私たちは言葉から逃れることはできません。
日常にあふれる無数の言葉から、知らぬうちに誰もが大きな影響を受けている。
その考えは、長年抱いていた「敵わないなあ」という気持ちを、すっと楽にしてくれました。
そして、私は私の源になっていく言葉たちを覚えておきたいと思いました。
日常の中で、誰かに言われたこと、自分が言ったこと、本や演劇やポスターや記事の一言、その中から心に残った言葉を、これから少しずつあつめていこうと思います。