沖縄、慰霊の日
今日は午後まで何も予定がないからと、油断していたら昼の12時まで眠っていた。
いつもの習慣で、目覚めてまずiPhoneを確認したら、今日が6月23日だと表示される。「慰霊の日」だ。
毎年6月になると、沖縄の学校ではいっせいに平和学習が始まる。
この時期にしかやらないわけではないけれど、やっぱり「慰霊の日」がある6月にはさまざまな催しが集中する。
沖縄全域の学校では、学生向けの作品展に出すために、平和についての詩やら絵やら作文やらをつくらされていた。私はそれがあまり好きじゃなかった。
平和について考えるのが苦痛だったわけではなくて、平和について考えたふりをしただけのような気がして、クラスメイトがつくるものも自分がつくるものも薄っぺらく思えて、いやだった。
沖縄戦の記憶があるおじいやおばあに話を聞いておけば、もう少し楽につくれたかもしれない。
でもかさぶたを剥がすようでそれもできなかった。
そもそも私と祖父母では使う言葉が違いすぎていて、私が祖父母の沖縄方言を理解するためには、両親に通訳してもらう必要があった。
家族に囲まれながら、沖縄戦のことを教えてと言うのは、当時の私にはちょっとむりだった。受け止める勇気もなかった。
結局1人で悩みながら、自分の中の抽象的な平和とやらを引き出すしかなかった。
私と違って、ちゃんと沖縄戦の話を聞いた人もいた。ただ、中には沖縄戦の話を聞いたふりをしたり、感動したふりをしたりするクラスメイトもいたから、こんな作品展に意味があるのかと、むなしくなるときもあった。
でもいま振り返ると、6月23日を「慰霊の日」として毎年更新していくことは、意味というより願いとか祈りに近いものだったのかなと感じる。
目に見えない「平和」というやつを、どうにか引き継いでほしい、という。
それを子どもにもわかりやすく参加できるかたちにしようとしたのが、作品展だったんだろう。
だから私が「なんかうすっぺらい〜きもちわるい〜〜」と自分のつくったものに悶々としていた時間も、無駄じゃなかった…と思いたい。
私が初めて沖縄戦を意識したのは、『ひめゆりたちの沖縄戦』というマンガだった。沖縄戦に巻き込まれた女学生の方の体験談だ。小学生のとき実家にあったから読んだ。
「暗いところで死ぬのはいやだ。明るいところで死にたい」
作中の台詞で、これだけはいまも覚えている。
暗い防空壕の中で死ぬくらいなら、陽射しが照りつける明るい場所で、弾に当たって死にたい。
そんなニュアンスだったと思う。
理解ができなかった。
いまの私には理解できない状況があった、ということだけは理解した。
私に直接的な沖縄戦の体験はなくても、そういう作品にはいくつか触れてきている。
できれば何年かに1度、こういうことばあつめも更新していけたらいいな、と思っている。薄っぺらくても偽善っぽくても、何もしないよりましじゃない?
1分間の黙祷が意外と長くて、そんなことを考えてました。